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大阪地方裁判所 昭和59年(行ウ)9号 判決

原告

上林米子

右訴訟代理人弁護士

山口修

被告

地方公務員災害補償基金大阪府支部長岸昌

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五四年一〇月一一日付けで原告に対してした地方公務員災害補償法による一部公務上一部公務外認定処分のうち、視神経炎の疑い(左)、左眼中心静脈血栓症、左眼虹彩炎、続発性緑内障、左眼網膜中心静脈血栓症、同出血性緑内障、外斜視を公務外とした部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四九年一〇月一四日午後四時ころ、勤務先の阪南町立鳥取中学校の美術教室内で学校行事である鳥中祭の準備作業中、角材が頭頂部に落下してきた(以下「本件事故」という。)ために負傷した。

2  負傷内容は、〈1〉頭頂部打撲挫傷、〈2〉項背部接触皮膚炎、〈3〉視神経炎の疑い(左)、〈4〉左眼中心静脈血栓症、〈5〉左眼虹彩炎、〈6〉続発性緑内障、〈7〉左眼網膜中心静脈血栓症、〈8〉同出血性緑内障、〈9〉外斜視である。

3  原告は、被告に対し、昭和五四年五月一五日付けで右各傷病の公務災害認定請求をしたところ、被告は、同年一〇月一一日付けで、原告に対し、右〈1〉の傷病については公務上の災害と認定したものの、右〈2〉ないし〈9〉の傷病については本件事故と相当因果関係が認められないとして、公務外の災害と認定する処分(以下「本件処分」という。)をした。

4  原告は、本件処分のうち公務外認定部分の取消を求めて、昭和五四年一二月二二日付けで、地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会に審査請求をしたところ、同審査会は原告に対し、昭和五七年五月二八日付けで、審査請求を棄却する旨の裁決をしたため、原告は更に、同年七月五日付けで、地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は原告に対し、昭和五八年一〇月一九日付けで、再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同年一一月一八日、原告にその旨の通知がなされた。

5  しかしながら、本件事故と右2項〈3〉ないし〈9〉の傷病(以下「本件傷病」という。)との間には、以下のとおり相当因果関係が認められるので、被告の本件処分のうち、本件傷病を公務外と認定した部分は違法である。

(一) 事実の経過

(1) 本件事故の態様は、同僚教諭がハンマーでボルトを角材の穴に打ち込んだところ、そのはずみで仮止めしてあった約五センチメートル角で長さ約二メートルの角材が、約二メートルの落差で落ちてきて、その先端が原告の頭頂部に衝突したというものであり、その衝撃の程度はその角材の重量、運動量を考慮すると、かなりのものであったであろうと推認できる。

(2) 原告は、受傷して約一時間後、田中外科で受信し、頭頂部の打撲挫傷の手当てを受けたが、その後も軽い吐き気が続き、頭の痛みがとれなかったので、昭和四九年一一月五日まで同外科へ通院し、同年一〇月三〇日には脳波検査を受けた。

(3) 原告の生理は、本件事故前は順調であったが、事故後予定日の同年一〇月二〇日の生理がなく、その後昭和五〇年一月末までなかった。一月末の生理も通常とは異なり、普通は四、五日続くのに一日半位で終わり、非常に量が少なく、出てきた血液は赤黒くて非常に粘り気が強くて固くなっているような感じであった。

(4) 原告は、昭和四九年一一月五日以後、それまで経験のないじんま疹が出て、夜眠れないということがあった。

(5) 原告は、同年一一月ころ、左眼の一部がかすんで見えにくいことがあった。

(6) 原告は、昭和五〇年二月末ころ、左眼の視野の一部が部分的に黒い雲がかかったようになり、眼がおかしくなった。同年三月末ころには、眼を開けているのがつらく、まぶたを閉じた状態にすると楽になるという症状があった。

(7) 原告は、同年五月八日、左眼の視野の一部に見えない部分があるのに気付き、尾崎病院眼科で受診した。原告を診察した上野山謙四郎医師は、左眼眼底に視神経乳頭の充血、眼底血管の拡張及び蛇行等があったので、視神経炎の疑いがあると診断した。

(8) 原告は、同年五月一二日、和歌山労災病院眼科で受診した。原告を診察した上野山典子医師は、左眼網膜中心静脈閉塞症と診断した。右症状の原因を知るため、同眼科で、眼科的な検査並びに血液検査、尿検査等の全身検査を行ったが、原告には、左眼網膜中心静脈の血行障害の原因となるような高血圧、動脈硬化、糖尿病等の成人病疾患、白血病、細胞造多症等の血液疾患はなかった。それで、担当医師は脳内の血行障害を疑い、脳循環関係の検査が必要と考えて、脳神経外科を紹介した。

(9) 原告は、同年五月一三日、同病院脳神経外科で受診した。原告を診察した仁科栄夫医師は、各種の検査をし、脳血管撮影の結果、海綿静脈洞循環不全と診断した。

(10) その後、原告の症状は進行し、同年七月二五日に左眼虹彩炎、同年八月一日に続発性緑内障を発症した。

(11) 原告は、そのころ、天理よろづ相談所病院眼科も受診し、担当医師から、左眼網膜中心静脈血栓症、同出血性緑内障、外斜視と診断された。

(二) 因果関係について

(1) 角材による頭頂部への強力な外力の作用が、頭蓋内海綿静脈洞壁の類洞の破裂による壁内出血と同壁の内皮損傷を惹起し、それが海綿静脈洞の循環不全を引き起こした。

(2) 又は、角材による頭頂部への強力な外力の作用によって直接、あるいは外力の作用及び外力によって生じた頭部外傷によるストレスの複合によって、脳下垂体、間脳下垂体系に影響を及ぼし、その機能不全、機能低下を惹起した。その結果、ホルモンのバランスが崩れ、血液の粘性が増加し、そのために海綿静脈洞の循環不全が生じた。

(3) 右(1)又は(2)の原因による海綿静脈洞の循環不全によって、左眼の網膜中心静脈に血行障害が生じ、視神経炎の疑いが生じ、同静脈血栓症が生じた。その結果、左眼内に新生血管が生じ、それからの出血や新生血管が、眼球内の房水の排出路をふさぎ、虹彩炎や続発性緑内障が生じた。左眼の視力低下により右眼ばかり使って、左眼を使わなくなり、外斜視になった。

(4) 原告は、本件事故前は、何ら問題のない健康体であったが、本件事故後初めて本件傷病が発症したものであり、本件事故以外に本件傷病を惹起しうる原因は考えられない。

6  よって、本件処分のうち請求の趣旨記載部分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告の負傷内容が頭頂部打撲挫傷であることは認めるが、その余は否認する。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実のうち、地方公務員災害補償基金審査会のした裁決が原告に通知された日時については知らないが、その余は認める。

5  同5冒頭の主張は争う。

(一)(1) 同5(一)(1)の事実のうち、本件事故の態様は、同僚の教諭がハンマーでボルトを角材の穴に打ち込んだところ、そのはずみで約五センチメートル角で長さ約二メートルの角材がはずれ、その先端が原告の頭頂部に衝突したというものであることは認める。

(2) 同(2)の事実は認める。

(3) 同(5)の事実は否認する。

(4) 同(7)の事実のうち、原告は、同年五月八日、尾崎病院眼科で受診し、上野山謙四郎医師は、眼底に視神経乳頭の充血、眼底血管の拡張及び蛇行等があったので、視神経炎の疑いがあると診断したことは認める。

(5) 同(8)の事実のうち、原告は、同年五月一二日、和歌山労災病院眼科で受診し、各種の検査を受けたこと、原告を診察した上野山典子医師は、左眼網膜中心静脈閉塞症と診断したことは認める。

(6) 同(9)の事実のうち、原告は、同年五月一三日、同病院脳神経外科で受診し、各種の検査を受けたこと、原告を診察した仁科栄夫医師は、海綿静脈洞循環不全と診断したことは認める。

(7) 同(10)の事実のうち、原告の症状は進行し、左眼虹彩炎、続発性緑内障を発症したことは認める。

(8) 同(11)の事実は認める。

(二) 同(二)の因果関係についての主張は争う。

(1) 原告の本件事故による負傷の状態は、頭頂部正中線上に直径約三センチメートル大の挫傷による腫大膨隆が認められただけで、頭蓋骨骨折等の異常はなかったものである。このような負傷の状態からみて頭頂部への外力が頭蓋骨、脳実質等を通過し、直接脳底の中央部に位置する海綿静脈洞に衝撃を与えたと考えることは非常に困難であるし、原告の主張するような海綿静脈洞の類同の破裂による壁内出血や同壁の内部損傷を認めることができるような検査所見は存在しない。

(2) 頭部打撲により頭蓋底骨折や脳挫傷が生じた場合には、脳下垂体が損傷を受けることはありうるが、原告のように意識障害も発生せず、又頭蓋骨骨折や脳挫傷を伴わない頭部打撲の場合には下垂体の損傷は生じないものである。ところで、下垂体ホルモンのうちある種のものは水分代謝と深いかかわりがあり、これらのホルモンバランスが崩れると尿崩症が起こり、その結果脱水症になり、血液中の水分が減少し、ヘマトクリット値(血液中の赤血球の体積比割合)が上昇し、血液の粘性が増強することは、医学上考えられるが、その場合には脱水症により、低ナトリウム血症、低カリウム血症が生じ全身的に重篤な症状が出現するが、原告にはそのような症状が現れていない。

(3) また、海綿静脈洞は大きな静脈洞であり、ここに循環不全が起これば、網膜中心静脈血栓症のみならず、脳圧亢進による運動麻痺等もっとひどい全身症状が先に生ずるはずであるから、原告に海綿静脈洞の循環不全はなかったものと考えるべきである。

(4) 網膜中心静脈血栓症の原因は、種々教科書等で述べられているが、その大多数は原因不明であるところ、原告の左眼網膜中心静脈血栓症は、通常起こる突発性の網膜中心静脈血栓症であり、医学上その原因は不明とされているものであると考えるのが相当であり、医学上原因が不明である場合の不利益は証明責任の点から原告が負担しなければならないものである。

6  以上のように、本件傷病は本件事故が原因であるとの証明がないことになるから、本件処分が違法であるとはいえない。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の証拠目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実、同2の事実のうち、原告の負傷内容が頭頂部打撲挫傷であることは、当事者間に争いがない。

二  請求原因3の事実、同4の事実のうち、地方公務員災害補償基金審査会が裁決を原告に通知した日以外の事実については当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば右通知した日は昭和五八年一一月一八日であることが認められる。

三  (証拠略)並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和四九年一〇月一四日午後四時ころ、当時の勤務先である阪南町立鳥取中学校の美術教室内において、同僚教諭と二人で、学校行事である鳥中祭の準備のため展示パネルの組み立て作業中、同僚教諭が脚立に乗って、上部枠木を中央部支柱にボルトで止める作業をし、原告は、下を向いてしゃがんで中央部支柱を垂直に保つようその下部を支えていたところ、右同僚教諭があらかじめあけられていた上部枠木と中央部支柱の穴を合わせその部分にハンマーでボルトを打ち込んだときに、そのはずみで十分固定されていなかった約五センチメートル角で長さ約二メートルの上部枠木が約二メートルの落差で落ちてきて、その先端が原告の頭頂部を直撃した。

2  原告は、頭頂部から出血し、養護教諭によって応急手当てを受けた後、受傷してから約一時間後田中外科で受診した。原告の頭頂部正中線上受傷部には直径約三センチメートル大の挫傷による腫大膨隆がみられ、田中医師より頭頂部打撲挫傷と診断され、その手当てを受けた。原告は意識清明で、逆行性健忘や受傷直後の意識障害は全くなかったし、レントゲン撮影では骨折線等の異常は認められず、また、瞳孔は両側とも正常の大きさで左右差はなく、対光反応も両側とも正常であって、肉眼的所見では眼の異常は認められなかった。

3  原告は、頭痛と軽度嘔吐を訴えて、同年一〇月一七日、再度田中外科で受診した。このときも瞳孔異常は認められず、その他の脳神経外科的な異常所見もなかったが、念のため同月三〇日、脳波検査を受けたところ、脳波には外傷に起因すると思われる異常所見はなかった。

4  原告が、頭部打撲のため、田中外科で受診したのは以上の三回であり、田中医師は、特別な手術は施行せず、止血剤を与え、安静と冷湿布を指示したにとどまった。その間、原告は、項背部接触皮膚炎を発症し、その治療のため、同年一一月五日まで田中外科に通院した。

5  右通院中に、原告から田中医師に対して、眼の異常や視力障害の訴えはなかった。

6  原告は、同年一一月から一二月にかけての早朝、左眼の一部がかすんで見えにくいことがあったが、別段気に止めるほどのことではないと思い、医者には行かなかった。

7  原告の生理は、本件事故前はほぼ順調であったが、同年一〇月二〇日ころ予定の生理がなく、その後も昭和五〇年一月末までなかった。一月末の生理も通常とは異なり、普通は四、五日間続くのに一日半位で終わり、非常に量が少なく、原告は、出てきた血液が赤黒くて非常に粘り気が強くて固くなっているように感じた。

8  原告は、昭和五〇年二月末ころ、左眼の視野の一部が見えにくいことがあり、同年三月末ころには、両眼とも開けているのがつらいと感じたことがあった。

9  原告は、同年五月八日、左眼の視野の一部に見えにくい部分があるのに気付き、尾崎病院眼科で受診した。原告を診察した上野山謙四郎医師は、左眼眼底に視神経乳頭の充血、眼底血管の拡張及び蛇行等があったので、視神経炎の疑いがあると診断し、原告に和歌山労災病院へ転医するよう勧めた。

10  原告は、同年五月一二日、和歌山労災病院眼科で受診し、視力検査や眼底撮影等の眼科的な検査、並びに血液検査や尿検査等の全身的な検査を受け、翌一三日には同病院脳神経外科で受診し、頭部レントゲン検査及び脳波検査を受けた。右一二日に撮影された原告の左眼眼底写真では、左眼網膜中心静脈の血行障害が認められたが、右各種検査では、原告には、右血行障害の原因となるような高血圧、動脈硬化、糖尿病等の成人病疾患、白血病、細胞造多症等の血液疾患は認められず、頭部レントゲン検査及び脳波検査でも特段の異常は認められなかったので、担当医師は原告に精密検査のため同病院神経外科に入院するよう指示し、原告は同月一九日より入院して各種検査を受けた。原告を診察した同眼科の上野山典子医師は、左眼網膜中心静脈血栓症と診断した。

11  同病院脳神経外科の仁科栄夫医師は、同年五月二三日、原告の内頸動脈撮影を行い、そのレントゲン写真で海綿静脈洞の造影が不十分で、この部分の循環不全を疑わせる所見があることから、海綿静脈洞の循環不全と診断した。同月二八日に撮影された原告の左眼の眼底写真では、左眼網膜中心静脈の循環停止が認められた。

12  原告は、精密検査のための予定入院期間終了後も、治療や検査のため、同年八月一六日まで同病院脳神経外科に入院していたが、その間原告の症状は進行し、左眼網膜中心静脈血栓症を原因として、同年七月には左眼虹彩炎、同年八月には続発性緑内障を発症し、原告の左眼は完全に失明した。

13  原告は、そのころ、天理よろづ相談所病院眼科も受信し、担当医師から、左眼網膜中心静脈血栓症、同出血性緑内障、外斜視との診断を受けた(右1の事実のうち、本件事故の態様は、同僚の教諭がハンマーでボルトを角材の穴に打ち込んだところ、そのはずみで約五センチメートル角で長さ約二メートルの角材がはずれ、その先端が原告の頭頂部に衝突したというものであること、同2ないし4の事実のうち、原告は、受傷して約一時間後、田中外科で受診し、頭頂部の打撲挫傷の手当てを受けたが、その後も軽い吐き気が続き、頭の痛みがとれなかったので、昭和四九年一一月五日まで同外科へ通院し、同年一〇月三〇日には脳波検査を受けたこと、同9の事実のうち、原告は、昭和五〇年五月八日、尾崎病院眼科で受診し、上野山謙四郎医師は、眼底に視神経乳頭の充血、眼底血管の拡張及び蛇行等があったので、視神経炎の疑いがあると診断したこと、同10の事実のうち、原告は、同年五月一二日、和歌山労災病院眼科で、翌一三日同病院脳神経外科で各受診し各種の検査を受けたこと、原告を診察した上野山典子医師は左眼網膜中心静脈血栓症と診断したこと、同11の事実のうち、原告を診察した仁科栄夫医師は海綿静脈洞循環不全と診断したこと、同12の事実のうち、原告の症状は進行し、左眼虹彩炎、続発性緑内障を発症したこと及び同13の事実は当事者間に争いがない。)。

四  次に、右事実関係を基にして本件事故と本件傷病との因果関係について検討する。

1  原告は、本件事故により海綿静脈洞の循環不全が生じた旨主張するので、海綿静脈洞の循環不全の有無について検討する。

(一)  証人深道義尚、同上野山謙四郎の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、海綿静脈洞は大きな静脈洞であり、ここに循環不全が起これば、網膜中心静脈血栓症のみではなく、脳圧亢進による運動麻痺等もっとひどい全身的な症状が先に生ずるはずであるが、原告にはそのような症状が現れていないことが認められる。

(二)  昭和五〇年五月二二日に和歌山労災病院で行われた内頸動脈撮影のレントゲン写真では海綿静脈洞の造影が不十分であるため、担当医師は海綿静脈洞の循環不全との診断をしたことは前認定のとおりであるが、鑑定の結果及び証人深道義尚の証言によれば、内頸動脈撮影は動脈の状態を見る検査法であって、海綿静脈洞の像はそもそもよく見えないものであるので、右レントゲン写真からは海綿静脈洞の循環不全を認めることはできず、他に海綿静脈洞の循環不全を窺わせる所見を認めるに足りる証拠はない。

(三)  したがって、原告の海綿静脈洞に循環不全が存在したとはそもそも認め難い。

2  原告は、本件事故により、頭蓋内海綿静脈洞壁の類洞の破裂による壁内出血と同壁の内皮損傷を生じ、それが海綿静脈洞の循環不全を引き起こした旨主張するのでこの点につき検討する。

(一)  原告の本件事故による負傷の状態は頭頂部正中線上に直径約三センチメートル大の挫傷による腫大膨隆が認められただけであり、他に頭蓋骨骨折や脳波等の異常はなかったものであることは、前認定のとおりである。

(二)  (証拠略)証人岸政次、同深道義尚の各証言並びに鑑定の結果によれば、海綿静脈洞は、頭頂部から離れた頭蓋底の中央部に位置しており、しかも頭蓋底に密着しているため、骨折を伴わない本件程度の頭頂部への外力が、海綿静脈洞に衝撃を与え、同洞の類洞の破裂や同洞壁の内部損傷を引き起こした可能性は、医学的見地からみて非常に乏しいものであることが認められる。

(三)  原告の海綿静脈洞の損傷や類同の破裂が生じたことを窺わせる所見を認めるに足りる証拠はない。

(四)  以上のように、本件事故が海綿静脈洞の類洞の破裂や同洞壁の内部損傷を引き起こしたとは認め難い。

3  次に、原告は、本件事故による外力、または外力と頭部外傷によるストレスによって、脳下垂体、間脳下垂体系に影響を及ぼし、その機能不全、機能低下を惹起し、その結果、ホルモンのバランスが崩れ、血液の粘性が増加し、そのために海綿静脈洞の循環不全が生じた旨主張するのでこの点につき判断する。

(一)  証人上野山謙四郎、同阪本善晴、同深道義尚の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、頭部外傷又は頭部外傷とストレスの複合により、脳下垂体への影響を与え、ホルモンのバランスが崩れ、血液の粘性が増加する可能性は医学上ありうるが、血液の粘性の増加は全身に影響を与え、通常はまず細い動脈に影響を与えるはずであり、海綿静脈洞にのみ症状が発症することは、医学上考え難いところ、原告にはそのような症状が現れていないことが認められる。

(二)  頭部外傷によって、原告の脳下垂体や間脳下垂体系が損傷を受けたことを認めるに足りる証拠はないし、原告のホルモンのバランスが崩れたこと、血液の粘性が増加したことを裏付ける証拠はない。かえって証人上野山謙四郎の証言によれば、昭和五〇年五月の検査では、原告の血液の粘性は増加していなかったことが認められる。

(三)  昭和五〇年一月末の原告の生理は、量が少なく赤黒く、原告は粘り気が強く固くなっていたと感じたことは前認定のとおりであるが、このことが血液の粘性の増加を意味するとの証拠はない。

(四)  以上のことから、原告の血液の粘性が増加したとは認め難い。

4  証人上野山謙四郎、同阪本善晴、同深道義尚の各証言及び鑑定の結果を総合すれば、次のとおり、認定判断することができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  網膜中心静脈血栓症の原因としては、高血圧症、動脈硬化、血液の粘性の増加等をあげることができるが、その大多数は原因不明である。

(二)  本件事故程度の外力によって直接左眼網膜中心静脈に障害を与えたとは医学上考え難い。

(三)  原告は、昭和四九年一一月から一二月ころと、昭和五〇年二月末ころ、左眼の視野の一部が見えにくいと感じたことは、前認定のとおりであるが、疲れたときや睡眠不足でもそのような症状が起こることがあるので、このことから、そのころ左眼に異常があったものと認めることはできない。

(四)  その他の因果関係を想定しうるとする証拠はない。

5  以上認定判断のとおり、原告の主張する因果関係は、いずれも医学的可能性は乏しいものであり、それらの因果関係を示唆する検査結果等もなく、かえってホルモンのバランスが崩れた場合又は海綿静脈洞の循環不全が生じた場合に予想される症状が原告には認められないこと等からして、結局のところ本件傷病の原因は不明であるといわざるをえず、本件事故と本件傷病との因果関係の証明がなされていないことになる。

6  なお、本件事故と左眼網膜中心静脈血栓症との因果関係の可能性を肯定する証拠としては、証人上野山謙四郎の証言、同人作成の昭和五六年一二月二八日付け診断書、上野山典子作成の昭和五六年一〇月一九日付け診断書及び昭和五四年八月三〇日付け回答書があるが、これらはいずれも海綿静脈洞の循環不全の存在を前提とする立論であるところ、その存在を認め難いことは前述のとおりであるし、証人上野山謙四郎の証言によれば、これらの見解は、原告の場合、通常考えうる網膜中心静脈血栓症の原因たる事実がないので、その原因としては結局本件事故位しか考えられないというものであり、右の海綿静脈洞の循環不全という所見以外には、積極的にその可能性を示唆する検査結果等の根拠を有するものではないことが認められるので、これらの証拠は右認定及び判断を左右するものではない。

五  以上のとおり、本件傷病については本件事故と相当因果関係が認められないとして、公務外の災害と認定した本件処分には違法の点はない。

六  よって、原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 土屋哲夫 裁判官 大竹昭彦 裁判長裁判官中田耕三は、転官のため署名押印することができない。裁判官 土屋哲夫)

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